人は自然の一部である
News Report 
歴史建築探訪2011  
武者小路千家に学ぶ
茶室見学

三千家とは・・・

千利休の孫、元伯宗旦(げんぱくそうたん)には四人の男子がありましたが、長男閑翁宗拙(かんおうそうせつ)は故あって家を出たため、次男の一翁宗守(いちおうそうしゅ)、三男の江岑宗左(こうしんそうさ)、四男の仙叟宗室(せんそうそうしつ)が、それぞれ、官休庵(かんきゅうあん)、不審菴(ふしんあん)、今日庵(こんにちあん)として初祖利休以来の道統を継ぎました。

 不審菴は表千家、今日庵は裏千家、官休庵はその所在地名から武者小路千家(むしゃこうじせんけ)と通称され、現在に至ります。 
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武者小路千家 茶室見学2011

歴史建築探訪 2010 倉吉・出雲
武者小路千家 茶室見学
    この度、日本を代表する三千家の一つである武者小路千家「官休庵」様のご協力の下、歴史建築探訪「武者小路千家に学ぶ」を開催、日本の美を再確認し、日本文化の真髄に触れるよい機会とさせていただきました
 今回は、表具師の八上氏によるレポートです。
開 催 日 : 平成23年6月4日(土曜日)
集合時間: 同日 午前10:00
集合場所: 地下鉄「今出川」駅
服   装: ジャケット着用  女性・・・準ずる服装
武者小路千家
弘道庵前玄関
 京都地下鉄今出川駅を降り、その名の由来となった武者小路通を西に入って徒歩約 8分で、武者小路千家茶室官休庵に着きました。総勢20名で訪れた我々は表玄関から入り、そこで靴を脱いで靴棚に入れ、「弘道庵寄付」に手荷物を置いて「環翠園」という茶室へ。

 ここで、お茶(お薄)を頂戴しながら、官休庵の説明を聞かせていただき、それから各茶室を案内していただきました。


武者小路千家 茶室見学 武者小路千家 茶室見学
七世/直斎好みの茶室・環翠園にてお薄をいただく。 欄間の独楽(こま)透かしは武者小路千家の定紋の独楽を象ったもの。
武者小路千家 茶室見学 武者小路千家 茶室見学
環翠園の脇にある行舟亭。

舟底の化粧屋根裏天井や、両側の明り障子の位置や寸法が屋形舟を思わせることから名付けられた茶室。

 官休庵は武者小路千家の代名詞でもあり、流租一翁が創建の茶室。しかしその長い歴史の中で幾度も焼失し、その都度、歴代当主により復興されたとのこと。現在の官休庵は大正十五年【1926】、愈好斎(ゆこうさい)の再建によるものだそうです。武者小路千家には官休庵の他にも半宝庵、環翠園、祖堂、弘道庵などの茶室があり、これらもすべて明治以降に建てられたそうです。今回、官休庵は外観のみで、残念ながら室内を拝見することはできませんでした。それぞれの茶室の普請や、そのすばらしさは武者小路千家公式ホームページ(http://www.mushakouji-senke.or.jp/)をご覧いただきたと思いますが、ここでは私が特に印象深かったところと、表具師としての視点からのレポートをさせていただきました。

 まず、千利休を祀った「祖堂」は、大きな円窓の奥に利休像と後ろに「利休宗易居士」と記された掛軸が掛けられてありました。利休に憚(はばか)って斜めに切って作られたという壁床など、とても珍しい造りの茶室で、厳粛で他の茶室にはない緊張感を感じました。


千利休を祀った「祖堂」。 大きな円窓の奥に利休像と後ろに「利休宗易居士」と記された掛軸が掛けられてある。

 名席を飛石でつなぎ、中門の「編笠門」石灯籠などを含め露地庭園は雅趣に富んで素晴らしく、私たちが伺った時は庭木の緑がとても美しく映えていました。また、編笠門の檜皮葺きの屋根の曲線美、それを作り上げた職人技にはとても感動しました。 
檜皮葺き屋根の曲線が美しい中門の「編笠門」。 飛石でつなぎ、雅趣に富む素晴らしい露地庭園。
庭木の緑が美しい露地。 レトロな鏡を使用した手洗所。

 北側奥に平成5年に創建された「起風軒」の二階の茶室を拝見、こちらは立礼席でコンサートなどいろんな行事にも使われるそうで、古典的な意匠を取り入れながら和モダンで明るく華やかな空間でした。‘雲立湧’文様の組子の明かり障子は、古典にして斬新なデザイン、素晴らしい建具でした。襖は白胡分地に雲母(キラ)で、雲(雲の中は花菊入りの‘輪違い繋ぎ’の模様)と周りに鳳凰、桐、竹(笹)を散らした唐紙で、近くで見ると派手で賑やかですが、広間なので離れて見るとよく馴染んでいるのです。ちなみに引き手は底を七宝焼きで花をあしらった美しいものでした。

雲立涌(くもたちわき)模様の組子(くみこ)の明り障子。 「起風軒」の二階の茶室
底を七宝焼きで花をあしらった美しい引き手。 異なるデザインの引き手。

 廊下の襖は、鼠地に白胡分の‘太渦’文様の唐紙と赤銅の‘おつぼ’引手。また、立礼席ということで、廊下周りの壁の腰貼りを三段と高くして貼ってありました。(腰貼りは着物の後ろ帯で、壁が擦れ落ちるのを防ぐために通常、点前周りは白の奉書紙で一段、客座周りを一段ないし二段で黒の湊紙を貼る。1段の高さは約27p)

「起風軒」二階の廊下。
軽快なデザインを施した手すり。
「起風軒」の玄関。
階段横などに腰貼りの壁。

 ところで、茶室は流派によって障子の張り方の決まり事や、襖紙(唐紙)の好みがあるのですが、家元ではどうなっているのかこの目で確かめたいと思っていました。和紙はその昔、今のような大判や、ましてロール状のものなどなく、縦約30p×横45pまでの手漉きの小判紙でしたので、あらかじめ糊で横に貼り継いで長くしたものを桟2段ずつ下から貼って行くのですが、組子の間で必ず縦に継ぎ目が入るのです。やがてそれは単なる継ぎではなく、細く(約3o)規則性を持たせることで美しい意匠となりました。その張り方は「千鳥貼り」とも「石垣張り」とも言います。(水平方向には横組子の上で組子の巾で紙を重ねて張りますので、部屋内側からは組子の間に縦の継ぎしか見えませんが、障子裏側から見るとその表具施工がよく分かります。)この障子紙の縦の継目位置が、表千家と裏千家とでは異なっていることは知っていました。
 表千家では、1枚3尺巾の障子の場合、小判の紙を2枚とその半分で障子の竪框いっぱいに張ります。したがって、障子の縦の組子が3本だと、紙の継ぎ目は桟と桟の中心には来ません。御所や桂離宮などもこの張り方です。
 ところが裏千家では、組子と組子の中心に紙の継ぎ目が来るように寸法を割り付けて張り、障子竪框の巾いっぱいには、張らないのです。
 さて、武者小路千家ではどうなのでしょう。 紙継の入り方は裏千家と同じ組子の中心でしたが、竪框いっぱいに障子紙を張ってありました。つまり、どちらの張り方の要素もありながらどちらとも違う張り方なのです。これは面白い発見でした。(これについては詳しい説明は受けていません、見たままの報告です。)

行舟亭の障子。 同じく行舟亭の天井。

 最後に「弘道庵」にて襖の模様についてお話を聞き『松無古今色』と染められた武者小路千家の手拭いをお土産に頂戴いたしました。
(寄付と環翠園は白地に雲母(キラ)で摺った‘吉祥草’の文様の京からかみに、‘おつぼ’の引手。弘道庵は鮮やかな青地にキラで‘流水と源氏車’の模様の京からかみ、引き手は重量感のある太渦の意匠でした。)

「弘道庵」の大広間。 鮮やかな青地にキラで‘流水と源氏車’の模様の京からかみ、引き手は重量感のある太渦の意匠の襖。

 滅多なことではお伺いすることのできない家元の茶室を拝見できたことは、貴重な体験で、とても良い勉強になりました。

                       NPO法人「社の極」理事  八上幸正
                       (前・大阪府表具協同組合専務理事)



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